ラ・リーガで最多の34回の優勝を誇る「白い巨人」こと我らがレアル・マドリード。
勝利のアイデンティティは創設された当初から現在までしっかりと引き継がれている。
そんな勝利を積み重ねるエル・ブランコを見てきたのが我らがレアル・マドリードのホームスタジアム「サンティアゴ・ベルナベウ」だ。
いわば、サンティアゴ・ベルナベウはマドリディスタにとって絶対的な要塞。
そんなレアル・マドリードの歴史が詰まっているサンティアゴ・ベルナベウについて知っていただこう。
今や世界的ビッグクラブとなった我らがレアル・マドリード。 サッカーをしていない人でも名前を聞いたことがあるほどのチームで、日本でもかなりの人気を誇っている。 特に、あのベッカムやジダンなどが在籍していた時代の銀河系軍団という呼称[…]
サンティアゴ・ベルナベウの基本情報
名称 | サンティアゴ・ベルナベウ(Santiago Bernabeu) |
オープン日 | 1947年 |
収容人数 | 81044 |
パルコ数 | 245 |
ピッチサイズ | 105 x 68m |
ルクス数(照度) | 1800 lux |
電話番号 | +34 91 398 43 000 |
住所 | Av. de Concha Espina, 1, 28036 Madrid, |
サンティアゴ・ベルナベウの歴史
サンティアゴ・ベルナベウはレアル・マドリードの歴史とともにある。
1902年、正式に創設されたレアル・マドリードの母体となったマドリード・フットボール・クラブ。
イングランドから持ち込まれたサッカーというスポーツがスペインで徐々に人気になるにつれ、マドリード・フットボール・クラブへの世間の関心は高まっていた。
そして当初クラブは試合を観にくる観客が増えたことにより、旧闘牛場近くの広いフィールドで試合をするようになった。
実はこの敷地はクリスティーナ女王の所有地だったとのことで年間150ペセタ(113円くらい)でクラブにレンタルされたんだとか。
当時はその敷地の隣にあったレストランをドレッシングルームとして使い、ゴールポストなどの道具を保管する部屋にしていたんだとか。
ちなみにマニアになりたい人の為に一応言っておくが、そのレストラン名は「ラ・タウリーナ」だそうだ。
今であれば考えられないが、選手たちはその「ラ・タウリーナ」で着替えて試合をしていたと考えたら時代を感じてしまう。
数年後、サッカーの人気はさらに高まり、たくさんの観客に見にきてもらい収入を確保したいクラブはもっと多くの観客を動員できるように新しいフィールドが必要となった。
それらの収入は良い選手を獲得するための予算でもあったからだ。
そしてクラブが求めていた新しいフィールドが「オドネル・スタジアム」だ。
約5000~6000人が収容できるマドリード1番のスタジアムで、観客の乱入を防ぐ目的で選手と観客を隔てるフェンスが初めて登場した。
しかしオドネル・スタジアムは住宅建設の敷地売却をしなければいけない理由でクラブはまたもや新しいホームグラウンドを探さなければいけなくなった。
そこでクラブが目をつけたのがシウダードリネアルの競輪場。
約8000人を収容できることや、建築デザイナーのアルトゥロ・ソリアによって改修工事が施されたその施設は初めての芝生のピッチだった。
これまでよりも最高の環境でのサッカーに適した競技場だった。
しかし、そのフィールドまではどうしても遠くなかなか行きずらいということで1年後には速攻でその競輪場を手放す。
そしてついにエスタディオ・チャマルティンの建設が始まった。
1年後に完成したチャマルティンは1万5000人も収容可能なスタジアムとなり、オドネル・スタジアムの頃に比べて約1万人ほど多く集客が可能に。
ちなみにこのスタジアムはマドリードのOBでクラブのディレクターを務めたカルロス・ロペス・ケサダの計画から誕生したスタジアムで、ホセ・マリア・カステルが工事の指揮を執った。
チャマルティンの建設は4000席の屋根付きの観客席という当時ではかなり斬新で画期的なプロジェクトだった。
そんな「最新式」のスタジアムの柿落としとなったイングランドの強豪ニューカッスル戦では3-2と接戦を制し新スタジアムでの初戦を多くの観客とともに勝利で飾った。
それからクラブはこのチャマルティンで23年間プレーすることになった。
チャマルティンという名前を決める時には大多数が「レアル・マドリード・サッカークラブ・グラウンド」を命名希望だったというが、「レアル・マドリード・スポーツクラブ」と呼びたがる人たちもいたという。
しかし、ファンが「チャマルティン」と呼び続けたことでこの名が今でも親しまれているんだとか。
ちなみに、公式ライセンスを持っていなかった頃の昔のウイニングイレブン(サッカーゲーム)では「レアル・マドリード」の名称は「チャマルティン」となっていた。
なんだこの名前はってその時は思っていたが、今であればなんの違和感もない。
なんなら知る人ぞ知るって感じで僕は好きだ。
しかし、スペインでは1936年に内戦が勃発してしまう。
リーガが中断してしまったのは言うまでもないが1939年に再開するにあたり、クラブにとって大問題が発生。
それが選手達がキャリアを継続しないことや国外逃亡、そして何よりもチャマルティンが内戦の影響で廃墟状態になってしまったのだ。
そしてそこで新たに建築計画が立てられたのが「ヌエボ・エスタディオ・チャマルティン」だ。
これまで何回もの修復工事を重ねて徐々に増員してきたが新しい大型スクリーンを持つスタジアムを建設したかったクラブは1943年に新会長サンティアゴ・ベルナベウを迎える事で実現する。
10万人を収容するスタジアムを建設するという壮大な計画がサンティアゴ・ベルナベウによって進み始めたのだ。
そして、ついに1947年12月14日に完成した新スタジアム。
柿落としは当時のポルトガル王者OSベレネンセスで3-1で勝利し最高のスタートを切った。
しかしまだまだ満足しないのが会長サンティアゴ・ベルナベウ。
どんどん増え続けるファンに伴い収容人数を12万5000人に増やし、且つ最新の設備を導入する事を決断し改修工事に入る。
1953年6月にリニューアルしたスタジアムがオープンすると、1954年には当時会長だったサンティアゴ・ベルナベウの功績を讃えスタジアム名をサンティアゴ・ベルナベウに改称。
満場一致での採決だったそうだ。
その後も何回も何回もちょこちょこと改修工事を加えていき、1957年には世界で一番の照明施設をもつスタジアムになった。
1965年には全クラブ事務所をスタジアム内への移転を完了し、サンティアゴ・ベルナベウがレアル・マドリードの全てになった。
一時は12万人を収容できるスタジアムとなったが、UEFA主催大会での立ち見席の禁止というルールにより収容人数はそれよりもかなり縮小してしまったのが、会長の心残りだっただろう。
そして1982年にはスペインW杯の会場としてもサンティアゴ・ベルナベウは使用された。
そこでクラブはテレビで観戦するファンや実際にグループステージや決勝でスタジアムに来て観戦する多くのファンに、近代的なイメージを持ってもらうことが重要!ということで総改築を開始。
観客終了数9万8776人のうち6万7000人を立ち見席という状態まで座席を切り詰め、照明システムを新調しパワーアップさせ、最新技術搭載のスコアボードを設置。
そして何よりも観客席の4分の3がカバーされる開閉型の天井を設置したことで万が一悪天候の中での試合であったとしても観客のほとんどが悪天候から守られるようになった。
そんなサンティアゴ・ベルナベウはUEFAが認める5つ星ランクのスタジアムの一つでこれまでに4回もUEFAチャンピオンズリーグ決勝のスタジアムに選ばれている。
1992年からはさらに2年かけて改修工事が施され、改修費用はなんと50億ペセタ。
日本円にしてなんと…
約108億円である。
1999-2000シーズンには「21世紀リーダー・プロジェクト」と言われ様々な面で改革が行われた。
- レアル・マドリード・ライン
- チケットの電話販売
- 譲渡可能な分割払い可のシーズンチケット
- マドリード大劇場の設置
などなど。
そのシーズン終了後にフロンティーノ・ペレスが会長に就任すると、スタジアムを年間365日営業にして、施設とインフラのハイテク化、商業用開発、事業の多角化を開始。
- スタジアムには4つのレストランがオープン
- スタジアムをツアーすることができる「ベルナベウ・ツアー」も開始
- スコアボード・音響・ドレッシングルームを新調
- スタジアムの新しいエントランスを設置
- 屋根付き観客席を設置
- 寒い日でも場内をしっかり温める暖房装置を1300も設置
そして、世界で初めて総合コントロール室で全てを動かすことができるスタジアム爆誕。
2007年にUEFAからエリートスタジアムとして認められ、スポーツ面はもちろん、商業面、経営面、ソーシャル面、そして近代性・機能性・実用性においてもモデルケースとされている。
素晴らしいスタジアムじゃないか!!!
後ほど改めて書くが現在はまたもや改修工事中で、新たな姿を見せようとしている。
サンティアゴ・ベルナベウへの行き方
レアル・マドリードが好きすぎるが故にGoogleマップでサンティアゴ・ベルナベウまで旅行してしまったことがあるのだが、本当にサンティアゴ・ベルナベウは首都マドリードの中心、ビジネス街に位置している。
すごく簡単にいうと新宿の中にドーン!とある感じだ。
品川でも渋谷でもいい。
とにかく中心地だ。
日本もそうだが、スタジアムといえば大体市街地からちょっと離れていたりちょっとアクセスが悪かったりすることが多い。
しかし、サンティアゴ・ベルナベウは市の中心。
ベルナベウ名誉会長がしっかりと考え、レアル・マドリード、そしてサッカーが人々の生活の中心であるように、本当にど真ん中に作られている。
その為、スタジアムへのアクセスは地下鉄(メトロ)が一番便利。
しかも最寄りの駅名は「サンティアゴ・ベルナベウ駅」。
観光客にも優しいのがレアル・マドリード自慢のサンティアゴ・ベルナベウだ。
スペインに旅行に行って、お昼はマドリード市内を観光して夜はレアル・マドリードの試合を見るなんて最高の旅行も簡単にできてしまう。
とにかくスタジアムに行くには、
- メトロ(Metro)10番線に乗って「サンティアゴ・ベルナベウ駅」で下車
スペイン語が読めない!なんて心配も無用だろう。
もちろん、バスでスタジアムに向かうことも可能。
- 「ブラド通り」もしくは「シベレス広場」→14番に乗車→「ハバナ通り」(Paseo la Habana)で下車
もしくは
- 「ブラド通り」もしくは「シベレス広場」→27番に乗車→「リマ広場」(Plaza Lima)で下車
現地のツアーガイドなどを見ても地下鉄で行くことをオススメしているので、無難に地下鉄10番で行く方がいいだろう。
我々からもオススメしておく。
サンティアゴ・ベルナベウの改修状況
そんな我らがレアル・マドリードの本拠地サンティアゴ・ベルナベウだが、現在改修工事を行なっている。
また工事やってんの!?って思った人は僕と同じ感想だ。
だが裏を返せば、常に世界で最も良いスタジアムでありたいというレアル・マドリードらしい考えと捉えることもできる。
2019年6月から工事に着手し始めて、工事している間もサンティアゴ・ベルナベウで公式戦を行なっていたが、コロナウイルスの関係で3月に一旦工事はストップ。
4月から工事は再開したが、2020年6月からは無観客試合でラ・リーガを進行することが決定したのをきっかけにサンティアゴ・ベルナベウで試合は行わず工事に専念することを発表。
現在ラ・リーガで我らがレアル・マドリードは激しく凌ぎを削り合っているが、ホームスタジアムはサンティアゴ・ベルナベウではなく、カスティージャのホームスタジアムでもあるエスタディオ・アルフレッド・ディ・ステファノを使用している。
完成予定は2021年6月ごろと言われているので、2021-2022シーズンからは新しくなった最新鋭のサンティアゴ・ベルナベウで勝利をファンに届けることができるようになるだろう。
2021年2月の段階での工事状況がアップされていたので載せておく。
徐々に全貌が明らかになってきている感はあるがまだあと少しかかりそうだ。
それにしてもここに満員になる日がすごく待ち遠しい。
Hala Madrid!!