レアル・マドリードは常勝軍団でならなければならない。
しかもただ勝つのではなく美しく勝つ。
これが我らがレアル・マドリードの目指しているサッカーであり、クラブの信念であると言える。
失意に終わった2020-2021シーズンから約2ヶ月後の7月5日、ついにエル・ブランコが新シーズンに向けて始動した。
2021-2022シーズンは我らがレアル・マドリードにとって非常に重要なシーズンとなる。
そこでクラブは大きな決断をした。
カルロ・アンチェロッティの招聘だ。
これまで素晴らしい功績を残してきたクラブのレジェンド、ジネディーヌ・ジダンを切り新監督として名将アンチェロッティを迎え入れた。
アンチェロッティといえば2013-2015の間レアル・マドリードを率いた経験がある訳だが、今回なんとクラブがもう1度彼にクラブの立て直しを依頼した。
そこで今回は、カルロ・アンチェロッティとはどんな人物なのか?どんな戦術を好むのか?などを含めて、レアル・マドリードの新監督に就任した名将カルロ・アンチェロッティの戦術と成績について書いていきたいと思う。
カルロ・アンチェロッティのプロフィール
View this post on Instagram
本名 | カルロ・アンチェロッティ(Carlo Ancelotti) |
国籍 | イタリア |
生年月日 | 1959年6月10日(62歳) |
身長 | 179cm |
体重 | 80kg |
利き足 | 右 |
ポジション | MF |
選手経歴 | パルマ(1976-1979)/ローマ(1979-1987)/ミラン(1987-1992) |
監督経歴 | レッジャーナ(1995-1996)/パルマ(1996-1998)/ユベントス(1999-2001)/ミラン(2001-2009)/チェルシー(2009-2011)/PSG(2011-2013)/レアル・マドリード(2013-2015)/バイエルン・ミュンヘン(2016-2017)/ナポリ(2018-2019)/エヴァートン(2019-2021)/レアル・マドリード(2021-) |
2013-2015年まで我らがレアル・マドリードを率いたことのあるカルロ・アンチェロッティ。
サッカーファンであれば誰もが聞いたことのある名将だ。
そんなカルロ・アンチェロッティはチーズ農家の両親の元で産声をあげた。
アンチェロッティが生まれたレッジョーロといえばパルメザンチーズの名産地、そして監督としてだけではなく選手としても活躍したカルロ・アンチェロッティの出身地として今では有名な土地だと言っても過言ではないだろう。
カルロ少年は幼少期のほとんどの時間を両親と兄弟と農場で過ごし、そしてハードワークをするという教訓を学んだんだとか。
しかし、毎日毎日農場でチーズを生産する毎日を過ごしている両親を見て育った成長の過程で、彼はある事実に気付いた。
「農業だけでは極貧生活から抜け出せない」
これが、将来自分が何になるのかを決める転機となったそうだ。
そして、それがカルロ・アンチェロッティのサッカーキャリアの幕開けとなる。
アンチェロッティは、あるインタビューの中で「サッカーはただの仕事ではない。私は農場で育ったが、サッカーはもっと良い生活だ」と語っていた。
彼の「もっと何かになりたい」という思いで、農場からレッジョーロのユースチームに入団し、その後パルマに目をつけられ引き抜かれることになった。
そもそも幼少期に過ごした静かな田舎町から、サッカーに熱狂し大声で騒ぐような都会に行くということ自体が若きアンチェロッティにとってはショッキングなことだった。
しかし、彼はこれからはこの環境で生活していくんだと言い聞かせ徐々に順応した。
アンチェロッティは人の話をしっかり聞けて、忍耐強く学ぶことのできる選手で、すでにチームで活躍していた先輩たちのプレーを見て学んだそうだ。
選手としてのアンチェロッティ
アンチェロッティは守備的ミッドフィルダーとして高い評価を受けていた選手。
クリエイティブな戦術家であり、チームのためにプレーできるチームプレイヤーとしてどの監督の元でも信用・信頼されて活躍してきた。
1976年にパルマ(当時セリエC3部)でプロデビューを果たし、パルマを2部昇格に導くとアンチェロッティはセリエAのASローマに移籍。
ローマでは1979年から1987年まで8年間プレーし、1984年からはキャプテンも務めた。
その1984年にはアンチェロッティにとってキャリア初となるリーグ優勝、そしてカップ戦を3度制覇するなど中心選手としてチームを引っ張る大活躍を見せた。
1987年にはACミランに移籍。
1987年のミランは「不死身のミラン」と言われていたほどのチームで、いわばレジェンドが集っていたスター軍団。
ルート・フリット、フランコ・バレージ、マルコ・ファン・バステン、パオロ・マルディーニなどのメンバーの一人として中盤に君臨していた選手なのだ。
もちろんあのマラドーナともセリエAでバッチバチにやり合っている。
View this post on Instagram
ACミランではチャンピオンズ・カップを2連覇(1989年・1990年)するなど黄金期を支えていた。
しかし、アンチェロッティは度重なる膝の故障に悩まされ、1992年に現役引退を発表。
サンシーロで迎えた最後の試合でキャリア初の1試合2得点を決めサポーターの歓声を受けながらピッチを去ることとなった。
監督としてのアンチェロッティ
アンチェロッティは彼自身の著書の中で引退すると決めた2つの理由について語っている。
その1つは先ほどもいった膝の度重なる負傷というコンディション的なもの。
そしてもう1つが、引退する前年にミランを去ったアリーゴ・サッキの下で、イタリア代表の助監督としてサッカーの世界に残るという道が開かれていたという事だ。
本人も語っているが、サッカー選手というのは引退した後の道は基本的には決まっていない。
解説者になったり、コーチになったり監督になったりする人もいるがそれはごく少数だ。
しかしアンチェロッティはいきなり代表の助監督として新たなキャリアをスタートさせた。
View this post on Instagram
アンチェロッティのいわば師匠となったサッキはゾーン・プレスの生みの親と言われているイタリアサッカー界、いやサッカー界全体でも知らない人はいないという指導者。
1991年に成績不振でACミランを去った後にイタリア代表監督というポストが用意されたほどの名将だ。
そんな名将の元でのちの名将アンチェロッティはサッキの戦術論や選手とのコミュニケーションの取り方など様々なメソッドを学んだ。
そして自身初となる総監督のチームはセリエBに所属していたACレッジャーナだった。
彼はそのレッジャーナをたった1年でセリエAに昇格させると、たった1年で退任し、自信がキャリアをスタートさせたパルマの監督に就任。
当時アンチェロッティがプレーしていた頃とは違い、就任当時のパルマは優勝を争うほどの強豪クラブ。
若かりし頃のブッフォンやカンナバーロ、ストイチコフやインザーギ、クレスポ、などなどサッカーファンなら「懐かしい!!」って思うような選手が多数所属していた。
そんな様々な国の代表選手ともなればエゴのぶつかり合いになってしまったりするものだが、チームを1つのしっかりとした集団に仕上げたアンチェロッティのパルマはインテルやラツィオを抑えて2位フィニッシュ。
監督としてのアンチェロッティの名将ぶりを徐々に世界に知らしめていった。
1998年のシーズン途中には、ユベントスの指揮を執っていたマルチェロ・リッピの後任としてユベントスの監督に就任。
翌シーズンの1999-2000シーズンにはチーム再建に成功するも2位フィニッシュ。
その次のシーズンの2000-2001シーズンも2位フィニッシュ。
いずれも最終節までもつれる混戦だったが、パルマ時代と合わせて3回目となる2位フィニッシュに、メディアやサポーターから「シルバーコレクター」と批判を浴びた。
リーグ戦だけでなくカップ戦でも無冠となってしまったことで解任されてしまった。
しかし、アンチェロッティの仕事ぶりは相変わらず高い評価を受けていた。
View this post on Instagram
ユベントスを解任された後は仕事がない状態が続いていたが、またもや2001-2002シーズン途中からACミランから就任依頼が届いた。
この就任には有名な裏話として、ACミランと契約交渉をしたその日の午後にはパルマとの契約交渉があったそうだ。
メディアでもパルマの監督に就任濃厚と言われていたこともあり、誰もがミランの監督就任発表には驚いた。
何事もタイミングなのだろうか。
ACミランでのアンチェロッティ政権は8年も続いた。
その為、アンチェロッティといえばACミランの監督というイメージが強い人も多いはずで、成績もリーグ戦、カップ戦、そしてUEFAチャンピオンズリーグでも安定して好成績を出し続けた。
2009年6月からは、プレミアの名門チェルシーの監督に就任。
イタリア以外での初めての監督就任となったが、就任直後のFAコミュニティ・シールドですぐにタイトルを獲得すると、リーグ戦とFAカップも制覇しイタリア国外タイトルを多数獲得した。
そんな成功を収めた2009-2010シーズンだったが翌シーズンは怪我人の影響もあり深刻な不振に陥り、シーズン終了後に解任された。
2011年12月には、フランスの強豪PSGの監督に2年半の契約で就任するとチームを19年ぶり3回目のリーグ優勝に導くなど、チアゴ・シウバ、イブラヒモヴィッチ、ラベッシなどの大型補強組を中心に勝利を重ねた。
2012-2013シーズンはチャンピオンズリーグでもベスト8まで導くなど現在は優勝候補にたびたび名前が挙がるPSGのきっかけを作った監督と言っても過言では無いだろう。
View this post on Instagram
そして、2013年6月からは我らがレアル・マドリードの監督に3年契約で就任。
ガレス・ベイル、カリム・ベンゼマ、クリスティアーノ・ロナウドのBBCトリオとも呼ばれた強力なアタッカーの他に、ハメス・ロドリゲスやイスコ、そして退団するとされていたシャビ・アロンソの代わりにトニ・クロースを獲得するなど、誰が出ても豪華なメンツという磐石の布陣をシーズン前に取り揃えた。
成績としては公式戦119試合で89勝14分16敗と高い勝率を誇り、マドリーにとって10度目のチャンピオンズリーグ制覇という「ラ・デシマ」を達成。
しかし、悲願のラ・デシマを達成した翌シーズンは、いずれの主要大会も惜しいところまではいっているものの無観に終わってしまい、責任を問われたアンチェロッティは解任。
SNSなどで選手たちが残ってほしい!と慰留するなど悲願を達成した監督は選手からも愛されていただけに、少し可哀想な解任ではあったがペレス会長の厳しさを世に知らしめる格好となった。
View this post on Instagram
1年フリーになった後の2016-2017シーズンからはドイツの強豪バイエルン・ミュンヘンを指揮することが発表。
ドイツで猛威を奮っていたバイエルンの攻撃陣はもはや死角なしで、2016-2017シーズンもリーグ5連覇を達成するも、カップ戦やチャンピオンズリーグではいずれもベスト4やベスト8で敗れてしまうなど不完全燃焼に終わった。
翌シーズンには、我らがレアル・マドリードで共闘したハメス・ロドリゲスを獲得し再起を図ったが、なかなか調子を取り戻せずシーズン途中で解任。
View this post on Instagram
2018年5月にはナポリと3年契約で監督に就任することが発表され、久しぶりのイタリアでのクラブチーム監督となったが、確執が報道されシーズン途中ですぐに解任となってしまった。
そして直近の2019年12月からはプレミアのエヴァートンFCの監督に就任。
View this post on Instagram
シーズン途中からの就任ということで建て直しを任されたアンチェロッティはなんとかチームを12位まで復活させてなんとかその役目を果たすと、翌シーズンからは自らの教え子でもあるハメス・ロドリゲスやアランを獲得し、上位を狙うプランを立てる。
しかし、2020-2021シーズンも結果は10位となかなか結果は出なかった。
エヴァートンはスタジアムの老朽化により2024-2025シーズンに新スタジアムへの移行を考えているが、アンチェロッティはインタビューで「許される限りここにいたい。新スタジアムができるまでここにいたい」と発言するなど、エヴァートンでの長期政権をうかがわせていた。
しかし、そんな中で今回2021-2022シーズンをレアル・マドリードで指揮を執ることが決まったのだ。
View this post on Instagram
6年ぶりとなる電撃復帰には驚きの声が多数上がったものの、2024年までとなっていたエヴァートンとの契約を解除し、マドリーと2024年6月まで契約を交わした。
となると、マドリディスタとして気になるのはアンチェロッティがどのような効果をもたらしてくれるのかということ。
前回就任時と違うのは、モウリーニョが去った後に残っていたロッカールームの険悪な空気。
アンチェロッティはその空気を見事に変化させて退任するときも選手から残ってほしい!と言われる存在にまでなったわけだが、今回はそういう険悪な雰囲気は全くない。
これはアンチェロッティにとって明らかなアドバンテージ。
しかし、自らの戦術に欲しい!と思う選手を簡単には獲得できないコロナ禍であるが故のマイナス面もある。
つまり、現在マドリーが持っているカードの中で戦力を作っていくという大きなタスクがあるわけだが、アンチェロッティはどうエル・ブランコの選手たちを調理していくのか。
第二アンチェロッティ政権が歴史に残るような成績を出せるのか、楽しみでしかない。
カルロ・アンチェロッティの戦術
View this post on Instagram
アンチェロッティが選手としても監督としてもこれまで素晴らしいさまざまな功績を残してきていることはわかっていただけたとは思うが、ここからはアンチェロッティがどのような戦術を敷く監督なのか、について書いていこうと思う。
アンチェロッティの戦術を一言で表すのであれば「選手次第」だろう。
…
「え、そりゃそうだろ。」
って声が聞こえてくるが、僕も書いていて「何が言いたいんだ俺は。」ってなっている。
で、我に返ってまた筆を進めてる訳だが、要はシステムベースで考えない監督だということ。
例えば、監督によっては「どのチームに行っても絶対に4-3-3を採用する」って監督もいたりするが、アンチェロッティは基本的にシステムに縛られない。
つまり、チームにいる選手の特徴や特性を考えてその中で一番いい組み合わせを作り上げる。
それがアンチェロッティ。
ひとつ有名な話で、第一次アンチェロッティ政権の時は、ペレス会長とベイル、ベンゼマ、ロナウドの3人の常時出場を約束したという。
我々マドリディスタからしたら素晴らしい3トップではあったが、4-3-3のフォーメーションを敷いたマドリーはどう考えても攻撃と守備のバランスが悪い。
そこで、アンチェロッティは相手を嘲笑うかのようなテクニックでドリブラーとして名を馳せていたディマリアをインサイドハーフで起用した。
View this post on Instagram
当時の僕からしたら、
「は?」
である。
いや、そりゃ彼サッカー上手いから出来るだろうけど…
中盤3枚のうちの1枚をドリブラーに任せるのは流石に荷が重すぎない?って感じだった。
そこでアンチェロッティの戦い方をみていると、今では当たり前になってきつつある可変システムを採用していた。
攻撃時は4-3-3でディマリアの攻撃センスを遺憾無く発揮させて豪華な3トップと連携させる。
守備時にはディマリアがサイドハーフに移動し、降りてきたウイングのもう1枚と両サイドハーフを形成する。
そして攻撃時には再度中央付近でボールに絡みアップダウンを繰り返す。
要はロナウドが守備する負担を軽減する為なのだが、ディマリアにかかる負担はかなり大きい。
しかし、アンチェロッティは彼のボールコントロールだけでなく豊富な運動量、サッカーIQの高さ、そして連携力を見出していたのだ。
最初はディマリアのインサイドハーフ起用にハテナマークが浮かんでいた僕も最終的にはディマリアの役割に納得した。
3トップのカウンター攻撃に頼っているように見えた攻撃が、ディマリアが中盤にいることによってよりスムーズになり、それでいて守備もしっかりこなしてくれる存在。
いわゆるリンクマン。
その存在がいるだけでマドリーの攻撃と守備のバランスがしっかりと保たれたのだ。
Angel Di Maria did some special things at Real Madrid 😇pic.twitter.com/8U1ht5McZI
— Goal (@goal) August 19, 2020
このようにアンチェロッティは選手の特徴や特性を活かしてチームにうまくフィットさせる。
そしてチームにとって何が一番良いのかを考えることができる監督なのだ。
また、アンチェロッティはクリスマスツリーの先駆者である。
言葉だけ聞いたら「急に何を言い出してるんだ」って思うかもしれないが、クリスマスツリーというのは4-3-2-1の基本フォーメーションのことだ。
これはアンチェロッティが長期政権を築いたACミランとチェルシーで採用していたフォーメーションである。
ちなみにこれも戦術マニアの中では有名な話で、当時のACミランは多くのファンタジスタが在籍していた。
リバウド、ルイコスタ、ピルロ、セードルフだ。
もはやこれらの選手について説明する必要はないだろう。
クラブ側からすればそれら全員の選手をうまく使いこなして欲しいと思うのは当然だが、それは流石に無理だろうと思うのが普通だ。
しかしそれがクラブ側からの無言の圧力なのだとしたらアンチェロッティは選手ありきのシステムを作り出す。
それがクリスマスツリーシステム、4-3-2-1なのだ。
View this post on Instagram
今ではボランチの印象が強いピルロだが、トップ下でプレーする機会の多い選手だった。
しかしトップ下の選手へのマークがキツくなってきた現代サッカーでは華奢なピルロでは潰されてしまう。
とはいえ、ピルロの創造性やパスセンスは使いたい。
そこでピルロを中盤の底に置いてボールを触る回数を増やすようにさせた。
ここで不安要素に上がるのは守備力となってくる。
中盤の底をプレーするなら守備がしっかり計算出来ないと意味がない。
そこで、ピルロの脇に守備に定評のある万能プレイヤーセードルフ、そして狂犬として名を馳せたガットゥーゾを配置したのだ。
View this post on Instagram
2人は所謂ピルロのボディガード的役割ということ。
そしてピルロが四方八方にパスを供給できる環境が整ったところで、供給先にはリバウドとルイコスタというファンタジスタを前線2枚に配置。
彼らにボールが入れば、何かしらのチャンスがやってくる。
そして最前線にはフィリッポ・インザーギというトップクラスのストライカーがいた。
ファンタジスタと呼ばれる選手達全員を起用して圧倒的な支配力で他を寄せ付けなかったアンチェロッティミラン。
インザーギが調子が悪いのであれば、シェフチェンコ、そしてリバウドもFWとして計算できた。
そして、ルイコスタの横にカカを置くこともできた。
守っては、マルディーニやネスタなど当時最強のセンターバックコンビに、サイドを駆け上がるカフーというこれまた最強の右サイドバックも在籍。
ガットゥーゾが中よりでプレーすることで空いているサイドのスペースをガンガン駆け上がり、ピルロからのパスを受けてはルイコスタなどと連携しクロスを供給。
そこにインザーギやシェフチェンコやクレスポといった空中戦やポジショニングに優れたストライカー達が飛び込んでくる。
アンチェロッティが施したトップ下のピルロをボランチに下げるという英断が、当時在籍していたミランの選手達の魅力を一気に引き出したのだ。
View this post on Instagram
これらのことを踏まえても、アンチェロッティは我々が思いつきもしなかったような配置転換でチームをうまく動かす。
選手の才能と特徴や特性、プレースタイルなど様々な能力を加味して最適な11人を作り上げ、控え選手も含めて最高のチームを作り上げる。
その為、アンチェロッティはロッカールームの雰囲気もかなり大事にしているという。
マドリーのようなチームにはこれまでのサッカーキャリアで中心選手としてやってきた選手も多い。
そんな選手が試合に出れないことで不貞腐れたりしないように、しっかりと言葉で伝え説明し、本人の役割というのを話すそうだ。
マドリーには才能はあるのにチャンスを掴めない選手がまだまだいる。
「あいつ他のチーム行ったら絶対スタメンだよな」「でも他のチームに出すのは違うよな」って思うような選手がいないだろうか?
マドリディスタとしては在籍してくれれば嬉しいけど、本人のことを思ったらちょっと…って選手はいないだろうか?
個人的には数名いる。
その最たる例が、イスコだ。
View this post on Instagram
イスコみたいな、サッカーが異常に上手くて、どのタイミングでもピッチ上でトップクラスのサッカー技術を持っている選手がジダンマドリーでは試合に出ることが出来なかった。
ジダン前監督もイスコの能力ははっきりと認めていたが、それでもイスコは中心選手になりきれなかった。
僕が期待するのはイスコの復活。
放出候補にまでなっているイスコをアンチェロッティが引き留めて彼の才能を生かすのか、それともイスコではなく他の選手の才能を見出してマドリーに新しい風を吹き込むのか。
2021-2022シーズンのマドリーはどのような選手達でどのような戦術を敷いてくるのだろう。
早くアンチェロッティマドリーの試合をみたい。
カルロ・アンチェロッティの成績
アンチェロッティがシステムありきではなく選手ありきで考える戦術家であることは理解してもらえたと思う。
彼はそのスタイルで数々の勝利を挙げてきた。
ってことでここからはアンチェロッティが残している素晴らしい成績を選手時代と監督時代で書いてみる。
選手時代の成績
大会名 | 獲得数 | シーズン |
セリエA | 3回 | 1982-83(ASローマ)/1987-88(ACミラン)/1991-92(ACミラン) |
コッパ・イタリア | 4回 | 1979-80/1980-81/1983-84/1985-86(ASローマ) |
スーペルコッパ・イタリアーナ | 1回 | 1988(ACミラン) |
インターコンチネンタルカップ | 2回 | 1989/1990(ACミラン) |
UEFAチャンピオンズカップ | 2回 | 1988-89/1989-90(ACミラン) |
選手としては12個のタイトルを獲得したアンチェロッティ。
特に8年間在籍したASローマ時代にはコッパ・イタリアを4回も制する暴れっぷり。
不死身のミランと言われた黄金期のACミランでは欧州ナンバーワンを決めるUEFAチャンピオンズカップを2連覇、インターコンチネンタルカップも2連覇と世界一の称号も手にしている。
膝の故障の影響で若干33歳で引退することになってしまったアンチェロッティだが、故障がなければどれほどの成績を残すことができていたのだろうか。
とはいえ、怪我してなかったら監督業はまだ望めなかっただろうし…運命とは分からないものである。
いずれにしても、アンチェロッティが監督としてだけでなく選手としてもこれほど偉大であったという事実を覚えておいて欲しい。
監督時代の成績
チーム | 大会名 | 獲得数 | シーズン |
ACミラン | セリエA | 1回 | 2003-04 |
コッパ・イタリア | 1回 | 2002-03 | |
スーペルコッパ・イタリアーナ | 1回 | 2004 | |
UEFAスーパーカップ | 2回 | 2003/2007 | |
UEFAチャンピオンズリーグ | 2回 | 2002-03/2006-07 | |
FIFAクラブワールドカップ | 1回 | 2007 | |
チェルシーFC | プレミアリーグ | 1回 | 2009-10 |
FAカップ | 1回 | 2009-10 | |
FAコミュニティ・シールド | 1回 | 2009 | |
PSG | リーグ・アン | 1回 | 2012-13 |
レアル・マドリード | コパ・デル・レイ | 1回 | 2013-14 |
UEFAスーパーカップ | 1回 | 2014 | |
UEFAチャンピオンズリーグ | 1回 | 2013-14 | |
FIFAクラブワールドカップ | 1回 | 2014 | |
バイエルン・ミュンヘン | ブンデスリーガ | 1回 | 2016-17 |
DFLスーパーカップ | 1回 | 2016 |
これまで数々のタイトルを獲得してきたカルロ・アンチェロッティ。
さまざまなビッグクラブを渡り歩いてきた名将はしっかりと結果を残してきているわけではあるが、ラ・リーガだけは未だタイトルを獲得することはできていない。
第一次アンチェロッティ政権の時はカップ戦などは獲得したもののリーグ戦では惜しくもトップに届かず。
そういった意味でも、2021-2022シーズンにかける想いはアンチェロッティにとってもサポーターにとってもかなり大きなものとなるだろう。
Hala Madrid!!