サッカーにおいて背番号というものはただの数字でしかない。
しかし、クラブから割り当てられる選手もいれば、自分の好きな番号にしてもらう選手、自分にゆかりのある番号にする選手など選手によってそのこだわりは違う。
それくらい背番号というものには選手のモチベーションを左右する不思議な何かがある。
そして、サッカーをしている人にとって特別な意味を持つ背番号がある。
それが「10番」だ。
背番号10はチームのエース・司令塔と呼ばれる選手がつけるとされていて、10番に関しては「背負う」という表現がされるほど。
それくらい10番をつけることは責任感やプレッシャーがのしかかり、ファンは10番の選手に期待をする。
そして我らがレアル・マドリードも背番号10を背負ってきた選手が歴代で何人もいる。
どれも名プレイヤーばかりだ。
ってことで今回はレアル・マドリードに所属した歴代の選手で背番号10をつけてプレーした選手たちを紹介しよう。
背番号10番が特別な意味を持つ理由
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今では背番号にこだわりを持つ選手は多くなってきた。
例えば、プロデビューした時の番号をずっとつけている選手や、願掛けとして活躍した時と同じ番号をつけている選手、憧れの選手と同じ番号にする選手など様々な理由でそれぞれが想いをもっている。
しかし、1990年代前半までは変動背番号制度(ポジションに番号をつける制度)が多くの国でスタンダードだった。
少し前の世代の人の話を聞いていると、「8番の選手が欲しい(インサイドハーフ)」とか「スピードのある2番だった(右サイドバック)」といった言い方をする人がいるのはそのためだ。
それが、現在ではグッズ販売、特にユニフォームを販売するとクラブの収入が増えるということが分かり、固定背番号制度に変更された。
つまり、今までは「ポジションで何番」、と言ってきたが、今では「何番は〇〇選手」という言い方になっている。
そうやって選手を背番号で認識するようになったのもサッカーの歴史を感じさせる。
サッカーのユニフォームを買うときに10番を買っておけば間違いない、みたいなあの風潮は大体チームで活躍する中心的な選手(エース)が着ける番号だからだ。
そして、背番号10番が特別な番号になった理由を知っているだろうか?
それはサッカーをしていない人でも知っているであろう、ペレの存在が10番を特別なものにしたと言われている。
「サッカーの神様」と言われているペレが大活躍した1958年スウェーデンW杯でつけていた背番号、それが10番だったのだ。
それがきっかけで10番の選手が注目されるようになり、それ以降3度もW杯を優勝したペレはエースの象徴というべき存在になった。
たまたま割り振られた番号が10番だっただけで、もしかしたら5番がエース番号になっていたかもしれないって考えると、現代っ子の自分としてはすごく不思議なイメージを抱く。
レアル・マドリードで10番をつけた歴代選手たち
前置きが長くなってしまったが、我らがレアル・マドリードも当時のエースとも言えるべき存在の選手が10番を背負ってきた。
固定背番号制度になってから現在までマドリーで10番を背負った選手は9人。
歴代のマドリーで10番を背負った選手の一覧は下の通りだ。
10番着用シーズン | 選手名 | 生年月日 | 国籍 |
1995-1996 | ミカエル・ラウドルップ | 1964年6月15日 | デンマーク |
1996-2000 | クラレンス・セードルフ | 1976年4月1日 | オランダ |
2000-2005 | ルイス・フィーゴ | 1972年11月4日 | ポルトガル |
2005-2008 | ロビーニョ | 1984年1月25日 | ブラジル |
2008-2009 | ウェズレイ・スナイデル | 1984年6月9日 | オランダ |
2009-2011 | ラサナ・ディアラ | 1985年3月10日 | フランス |
2011-2014 | メスト・エジル | 1988年10月15日 | ドイツ |
2014-2017 | ハメス・ロドリゲス | 1991年7月12日 | コロンビア |
2017-現在 | ルカ・モドリッチ | 1985年9月9日 | クロアチア |
どの時代を見ても各国の代表で中心選手として活躍した選手ばかりだ。
簡単ではあるが各選手の特徴なんかを解説していこう。
ミカエル・ラウドルップ(29試合8ゴール/1995-1996)
デンマーク史上最高の選手と言われているレジェンド、ミカエル・ラウドルップ。
そんなラウドルップは永遠のライバル、バルセロナから禁断の移籍を果たした選手でもあり大きな話題になった。
若い時代はウイングとしてスピードが売りのプレーヤーだったが、レアルに来た頃には卓越したボールテクニックで相手も観客も魅了した。
特にドリブルとチャンスを生み出すスルーパスは一級品。
移籍する前のシーズンでバルセロナで優勝していたが、エル・ブランコに禁断の移籍を果たした初年度はレアル・マドリードのシーズン優勝に貢献。
違うクラブでリーグ5連覇をした、たった一人の選手だ。
ちなみに、エル・ブランコで活躍した後に移籍した先は当時J2に所属していたヴィッセル神戸。
今ではバルセロナのレジェンドでもあるアンドレス・イニエスタやベルギー代表のフェルマーレンなどが在籍しているが、当時のJリーグ、しかもJ2に所属していたチームにレアルの10番が移籍することになったのは日本人にも馴染み深いのではないだろうか。
クレランス・セードルフ(121試合15ゴール/1996-2000)
元オランダ代表で、中盤としての資質を全て兼ね備えていた万能方ミッドフィルダー、クレランス・セードルフ。
今でも若手の育成に力を入れていて評価の高いアヤックスのアカデミーで育った選手で、アヤックスアカデミー史上最高傑作と呼ばれていた逸材だ。
ちなみに、アカデミーの同期にはバルセロナで活躍し監督も務めたクライファートなどがいた。
サッカーをしている人はセードルフといえばイタリアの名門ACミランでプレーしていた姿がぱっと浮かぶかもしれないが、それは彼が26〜27歳と一番脂が乗っていた時期。
というのも、セードルフがレアル・マドリードの10番を背負ったのはなんと彼がまだ20歳の時だ。
レアルのフロントとしても20歳のセードルフに10番を与えるくらい彼に期待していたことは間違いない。
実際、121試合に出場し15ゴールを決め、リーグ優勝、UEFAチャンピオンズリーグ優勝、トヨタカップ優勝など数々の栄冠をもたらした。
チームの中心として躍動していたセードルフだが、チームメイトとの確執や財政悪化など様々な理由からイタリアのインテル・ミラノへ移籍することになった。
持ち前の身体能力、ゲームメイクのセンス、シュート、ドリブル、守備能力などチームを牽引するには十分すぎる能力を持っていながら、最終的には若さが仇となってしまった選手だ。
しかし、その後はインテルからACミランへ禁断の移籍をして、ACミランの黄金期の中心メンバーとしてその才能を遺憾なく発揮した。
ルイス・フィーゴ(153試合38ゴール/2000-2005)
レアル・マドリードが日本でも銀河系軍団としてよく聞くようになったときに背番号10を背負っていたのが元ポルトガル代表でレジェンド、ルイス・フィーゴだ。
レアル・マドリードの10番といえばこの人がぱっと浮かぶって人が多いのではないだろうか。
フィーゴは、当時就任したばかりのフロンティーノ・ペレス会長が「公約」とまで謳って獲得を約束し、当時めちゃくちゃ活躍していたバルセロナから禁断の移籍を果たした選手。
その移籍金は当時では最高額となる6000万ユーロ(当時の70億円)で加入し大きな話題となった「裏切り者」だ。
バルセロナとのクラシコでは、フィーゴがもてば大ブーイング、コーナキックを蹴ろうとすれば豚の首やビール瓶などがポンポン投げ込まれた話は有名な話だろう。
持ち前の相手がなかなか足を出せないドリブルもさることながら、1番の魅力はなんと言ってもアシスト力。
中にいる選手にピンポイントで合わせるクロスは芸術品。
それは数字でもしっかり表れていて、現在はリオネル・メッシに抜かれてしまったがそれでも歴代2位となる通算アシスト数を記録している。
2000年にはバロンドールを受賞し、2001年にはFIFA最優秀選手賞を受賞するなど、レアル・マドリードの10番に相応しい活躍を見せてくれた選手である。
ロビーニョ(101試合25ゴール/2005-2008)
インテルに移籍することになったルイスフィーゴの後にレアルで背番号10をつけたのが、元ブラジル代表のロビーニョだ。
ブラジル人らしいトリッキーなテクニックを生かしたスピードのあるドリブルが得意な選手。
ドリブル中に繰り出される高速シザースといえばロビーニョと言っても過言ではないくらいドリブル中にまたぎまくる。
そんな「ペレ2世」と言われ本人からのお墨付きももらっていたロビーニョは、2005年に移籍金2400万ユーロ(30億円)という破格の金額でブラジルの名門サントスから加入した。
しかし、21歳のロビーニョにはフィーゴの後釜としては荷が重かったか、パフォーマンスの波が激しいこともあり度々批判にさらされることもあった。
更にはクリスティアーノ・ロナウドの獲得するためのトレード要員リストに加えられたことでクラブとの関係は悪化。
喧嘩別れのような形でマンチェスターシティへ移籍することになった。
当時ロビーニョのトリッキーなドリブルに魅了されていた僕としてはシティに移籍するのはかなりショックだったのを覚えている。
ウェズレイ・スナイデル(22試合2ゴール/2008-2009)
日本代表の長友佑都の大親友とも言われている元オランダ代表のウェズレイ・スナイデル。
2010年に開催された南アフリカW杯では日本戦を含む大会5ゴールを決め準優勝に貢献したオランダ代表でも中心的存在だった選手だ。
2007年にオランダの名門アヤックスからやってきたスナイデルは移籍金2500万ユーロで背番号はチームを去ったデイビッド・ベッカムの跡を継いで23番だった。
初年度は持ち前のキックセンスを生かし、チャンスメイクを数々と演出し、自らもゴールを決めるなどエル・ブランコの中心としてリーグ優勝に貢献。
そしてロビーニョがマンチェスターシティに去ったレアルでの2シーズン目はクラブから10番を託されることになったが、度重なる怪我で思うような成績は残せず。
10番となったことで様々な批判を浴びることになり、ピッチ上よりピッチ外での出来事で話題になることが多かった選手だった。
レアルでは目立った成績は残せていないがその後に在籍したチームではどこでも10番をつけて大活躍。
異なるリーグの4チームでリーグ戦・カップ戦ともに優勝を経験するなど、いかにも10番って感じの選手だった。
ラサナ・ディアラ(49試合1ゴール/2009-2011)
以前レアル・マドリードで活躍したクロード・マケレレの後継者とも言われた元フランス代表の守備職人ラサナ・ディアラ。
ディアラが10番をつけていた事実を知っているサッカーファンはどれくらいいるだろうか?
これまで攻撃的な選手がつけてきた10番だが、レアルはここで急に守備的なミッドフィルダーであるディアラに託した。
持ち前の豊富な運動量や身体能力、そしてフィジカルで守備の仕事をしっかりとこなし「マケレレ2世」という名に恥じぬプレーを見せたが、途中から出場機会が減少。
そして、シーズン終了後には10番は攻撃の選手が着けるべきだ、と批判を受け1年で10番を次の選手に譲った。
ファンの間ではこの1年を無かったことにしている節もあるらしく、ディアラの印象は10番をつけたことによりあまり良くない。
ちょっとかわいそうだが。。
ちなみにチームを点々として2015年に加入したフランスのマルセイユではなんとまた10番を着用していた。
10番は好きなんだろう。
メスト・エジル(99試合33ゴール/2011-2014)
先日フェネルバフチェへの移籍が決定し話題になった元ドイツ代表の天才レフティ、メスト・エジル。
10番といえばエジルという人がいても全くおかしくない典型的な10番タイプの選手。
むしろ僕は10番といえば誰?と聞かれたら迷わずエジルと答えてしまうと思う。
持ち味は、柔らかくてしなやかで華麗なボールタッチ。
そして自慢の左足から繰り出される質の高いパスだろう。
当時のエジルとクリスティアーノ・ロナウドのコンビで何点取ったんだろう!?ってくらいクリロナとのコンビでゴールを量産していたのは記憶に新しい。
いかにもファンタジスタらしいプレースタイルは我々ファンを魅了してくれてワクワクさせてくれた選手。
ディアラの後にエジルに10番を託すあたりは流石ですね。
振れ幅がすごい!
エジルは怪我に悩まされるシーズンが増えていますが、それでもまだまだ足元のテクニックと自慢の左足から繰り出されるパスは健在。
新しい挑戦となるトルコの地でまた一花咲かせてくれることをファンとしては期待している。
ハメス・ロドリゲス(77試合28ゴール/2014-2017)
2020-21シーズンからプレミアリーグのエヴァートンに完全移籍したコロンビア代表、ハメス・ロドリゲス。
2014年の日本代表もチンチンにやられたブラジルW杯では大会得点王となるなど、端正な顔立ちも含めて人気スター選手となったハメス。
南米の選手らしいドリブルや強烈なシュート、精度の高いパス、そして試合を組み立てる視野の広さが魅力の選手だ。
そんなハメスはレアル・マドリードと6年契約を結び移籍金は約8000万ユーロにまでなったと言われている。
加入1年目のハメスは全公式戦で17ゴール18アシストと素晴らしい記録を残し10番としての役割を全うした。
トップ下がないレアル・マドリードでインサイドハーフとしてプレーしていたハメスだったが、ジダンは中盤の底にカゼミロを起用し始める。
前のポジションをクロースとモドリッチがこなすようになった事でベンチスタートが続くと、ウイングのポジションでもガレス・ベイルやルーカス・バスケスなどが台頭。
2つのポジションを失う事になったハメスはレアルで出場機会を得ることができないまま、バイエルンへのレンタル移籍などを経て、レアルを去る事になってしまった。
かつてレアルも指揮したアンチェロッティ監督がいるエヴァートンへ移籍したことで、20-21シーズンは持ち前のサッカーセンスで大活躍をしている。
それにしてもカッコいい選手だった。
ルカ・モドリッチ(2017-現在)
そして最後に現在我らがレアル・マドリードで堂々と背番号10番を背負ってプレーしているのがクロアチア代表ルカ・モドリッチだ。
モドリッチに関してはもう何も言うことはないだろう。
パス、シュート、ドリブル、守備、スタミナ、全てにおいてハイレベルにこなすことができる万能型のミッドフィルダーで、35歳になった今でもその存在感は衰えることはない。
2021年6月30日までの契約とはなっているが、1年延長で契約更新に同意したとのことで、まだまだエル・ブランコの中心選手として牽引していってくれるだろう。
ルカ・モドリッチに関する詳しいプレースタイルや特徴は以下の記事を参考にしてみてほしい。
2018年ワールドカップでクロアチアを史上初の決勝進出まで引っ張り上げた中心選手。 それが、我々エル・ブランコの10番ルカ・モドリッチである。 一見華奢に見えるモドリッチだが、ピッチ上では魔法使いのように味方を操り、豊富な運動量[…]
次の背番号10は誰!?
ここまでサッカーにおいて背番号10番が特別な理由とレアル・マドリードの背番号10を背負ってきた歴代所属選手について紹介してきたが如何だっただろうか?
我らがレアル・マドリードにはベルギー代表でチェルシー時代にも10番を背負ってきてるエデン・アザールという選手が在籍している。
アザールという名前を聞いて知らない!っていうサッカーファンはもはやいないだろう。
彼がエル・ブランコに入団するときにモドリッチに「10番を譲ってくれ」と頼んだそうだ。
モドリッチはそれを普通に拒否したんだそうだが、もし仮に今アザールが10番を背負っていたら彼は今頃マドリードにはいられなかっただろう。
それくらいレアルの10番というものには責任とプレッシャーがのしかかる。
現在はルカ・モドリッチが10番を背負ってファンも納得のプレーを見せてくれているが、いずれモドリッチも10番を明け渡す時が来るだろう。
その時に、モドリッチのような中盤で全てをこなせる選手に引き継ぐのか、ラウドルップのように得点もバンバン取る事ができるエースに引き継ぐのか、新加入のエースに引き継ぐのか、今モドリッチのそばで10番とはなんたるかをみてきている選手に引き継ぐのか、考えるだけでワクワクしてこないだろうか?
個人的にはレアル・マドリードに来て中心選手になって欲しい選手として、現在PSGに所属しているフランス代表キリアン・ムバッペを挙げさせてもらう。
ムバッペがエル・ブランコにくるかどうかは全く不透明だが、大改革を行うと言われている来夏には期待したい。
何よりもフランスの英雄ジダンが監督を務めているチームでもある。
ジダンは直近の成績で解任も騒がれているが、ムバッペを獲得する上では彼にとってジダンは加入する魅力の1つになることは間違いない。
もしこれが当たったら誰か僕にマドリード旅行をプレゼントしてほしい。
というわけでレアル・マドリードの背番号10を着用した歴代所属選手のプレー集をみながらお別れするとしよう。
Hala Madrid!!